北の道17 Amandi − Gijon


6月2日(木)アマンディのアルベルゲで簡単な朝食を食べさせてもらい、オーナーに見送られながら8時に出発。ちょっと前に少年は学校へ出発していった。数年後に夢の四国遍路にやって来れるかな?

 山道に入り、しばらくしたらプリミティボとラ・コスタへ分かれる分岐に出た。来る前にはさっぱり分からなかった分岐点って、町からこんなに離れたところにあったんだ。その分かれ道の模様もネットで見ていた通りだった。(写真が小さくて分かりづらいが道路の上に黄色い矢印で二つの行き先が書いてあります)それにしても、分岐点のこの家ってマが良すぎるだろう。ここを通るペリグリノの全員がこの家を写真に撮って行くと思う。
 カミーノが分岐するところはこれまでも何度もあったが、今回みたいに分岐してから数百キロも合流しないのは初めてだ。こういうのは仲良くなった人たちと生き別れになってしまうので止めてもらいたい。これが再度合流するのはフランス人の道上にある町アルスアなので、ここから300kmほど後になり、日数にしたら半月後だ。

 私たちは予定通りラ・コスタ方面へ向けて歩き出す。海沿いの道である筈のラ・コスタの道だが、そこから凄い山道に入っていく。急坂に加え、足元はぐちゃぐちゃなのでしんどい。2本のスティックでぐいぐい体を押し上げていく。11時半、小さな村があってバルも見つけたのでここでコーヒータイム。今度は私がおごる番だ。トイレを借りにバルの奥に入っていったら、こんな山の中なのに大きなレストランになっていて、どのテーブルにもナプキンとグラスが整然と並んでいた。ひょっとして名のある避暑地なのか?

 ここに顔見知りのドイツおばさんもやってきた。何度も顔を合わせているが、いつも一人で歩いている人だ。この人もソロで歩いているのだから我々と一緒に歩けばいいと思うのだが、一人で歩くほうがいいらしく一休みしたらさっさと出発して行ってしまった。それともカップルで歩いているから邪魔しては悪いとでも思うのだろうか?カタリナとはそういう仲じゃないんだがなぁ。一休みしてからはまたハードな山越え。


 路銀は残りが200ユーロほどになってきたので、あと5日くらいは持つが、百を切ったら追加しときたい。小さな村にはATMは置かれてないので、そのタイミングは重要だ。文無しになって悲しい思いはしたくない。

 更にまたハードな山越えをこなして汗だくになる。大きな街が見え出してから、その周りを延々と歩く羽目に。こういうパターンって時々あるんだよな、街の中に入って道が分からずに苦労するのと遠回りして長い距離を歩くのとどっちがいいだろう。。街に入る手前に、ネットで見つけたアルベルゲらしきものがあったが、まだ時間が早い。写真で見たときはキャンプ場のバンガローハウスのようだったので、普通のアルベルゲとは違うようだ。協議することもなくスルー。
 街の中にあった高い木が生い茂った自然公園の中にベンチがあったので、手持ちの食料でお昼にする。すぐ近くに大きなスーパーがあったので、この近くにアルベルゲがあると都合がいいなぁと思いながら前を通り過ぎる。

 街の中心の外側を延々と歩く巡礼路のようで、住宅街みたいなところをずっと歩き、一軒の私営アルベルゲがあったがカタリナは無視して歩き続けるので他に当てがあるのかも知れない。何しろ詳しいガイドブックはカタリナしか持っていないからそれに頼る。賑やかなところに出たところでカミーノを見失ったので、バルのテラスで寛いでいたカップルに教えてもらい歩いていると、地元の婦人が声を掛けてきた。首には剣十字の大きなネックレスをしていて英語も話すようだ。別れてからカタリナが巡礼経験者だったと教えてくれる。剣十字はモーロ人を撃退した伝説のサンチャゴの象徴だ。剣の形をした赤い十字架で、巡礼の象徴である帆立貝にも良く描かれていて、私の帆立貝には赤ペンキで自分で描いた。その帆立貝は日本の居酒屋で出たものを白くなるまで金タワシで磨いて紐を通す穴を開けたもので、利用できるものは何でも使いまわしている。

 いよいよGijonの中心部とも言うべき賑やかな港に出てきた。さて、肝心のアルベルゲ情報は・・・カタリナは持ってないって!?近くのスペイン人に聞いても誰もアルベルゲは知らなかった。他の人にも聞いてみたところ、どうもこの大きな街の中にはアルベルゲはないらしいのが徐々に分かってきた。でも、ガイドブックには安いお勧めのペンションが書いてあったので、取り合えずそこを目指す。

 歴史がありそうな重厚な扉の中に目的のペンションはあって、呼び鈴を押して外の扉を開けてもらい、そこからペンションがある階へあがっていく。ツインでたったの12.5ユーロだった。バスタオル、フェイスタオルとバスルームにはシャンプーまで置いてある。ま、ホテルなら当たり前なんだろうが同程度の料金のアルベルゲにはそういったアメニティは一切ないのが当たり前なので、これは大当たりのペンションと言える。部屋にはWベッドとシングルがあったので、大きなWはカタリナに譲る。アルベルゲの大部屋に二人というのは普通にあるが、こういう部屋に男女が一部屋ってのは超が付くほど珍しい。もちろん生まれて初めてだが、男女ミックスが当たり前のアルベルゲの延長と思えば緊張することでもないだろう。アルベルゲのベッドではみんな寝袋で寝るが、ここは普通のベッドなのにカタリナはここでも寝袋を広げている。寝袋で寝るのが習慣になってしまったのかな?

 シャワーのあと、二人で食料を仕入れにスーパーを探しに行くが、これが結構てこずってしまう。行きにかなり歩いたので、帰りに迷わないように時々後ろの風景を見ていた積もりだったが、スーパーの店内に入って出てきたらすっかり方向感覚が狂ってしまい分からなくなってしまった。頼みのGPSも高い建物のある街中では電波をキャッチしづらい。港に出さえすればやって来た道に出られると思ったので、港方面へ歩いていき、出たところは予想よりずっと離れたところだった。今回は私の勘もさっぱり当てにならなかった。でも、港からペンションを探したときに覚えていたピンクのビルを見つけたのでセーフ。その近くにあった店に入ってビールも買う。その店はペンションと同じビルの1階にあったのだが、外から見た限りでは貧弱な品揃えに見えたのに、中に入ったら普通のスーパーだったので、なんか凄く遠回りしてしまった気持ちになった。

 ペンションに戻ったら、馴染みになったオランダのテオもチェックインしていて、ドイツのソロ婦人もいた。やっぱりGijonにはアルベルゲがなく、ガイドブックを持っているペリグリノはここのペンションに集合するらしい。私たちはツインなので安かったが、一人で泊まると幾らだったんだろう?テオもドイツ婦人とツインに泊まれば安かったのにと思うが、今更の話しだ。沢山買い込んだ食糧を部屋の小さなテーブルに並べて夕飯にする。


北の道18につづく